Airegin
(Sonny Rollins)
(4分26秒)
【この曲、この演奏】
続けてロリンズの曲を演奏しており、それはロリンズの代名詞の一つでもある曲です。マイルスとロリンズの共演でこの曲を披露した1954年の「バグス・グルーブ」でのものが、非常に有名な曲であります。マイルスはスタジオ録音では本セッションとの2回、しかしロリンズは「バグス・グルーブ」での1回しかこの曲の演奏を残しておりません。またコルトレーンは本セッションの他には、1957年2月23日にマイルス・クインテットでのピーコック・アレイでのライブがあり、ブートレグCDで発売されています。(資料06,07,08)
さて演奏ですが、クインテット一丸となった重戦車のような出来です。マイルスのオープン・トランペットの切れ味に真っ向から立ち向かうコルトレーンのテナーも、頼もしい限りです。フィリー・ジョーの切れ味の良さも加わり、このバンドが当時のジャズ界の先頭を走っている様子が伺える演奏です。
【エピソード、ホッジスの思い】
資料01によれば、ホッジスはコルトレーンが思っていた以上に彼を可愛がっていたとのことである。しかしこと麻薬患者をバンドに置くわけにはいかず、また麻薬がコルトレーンの演奏に黒い影を落としていたので、ホッジスとしてはどうしようもなかった。
偉大な先輩から可愛がられていたのに、またホッジス楽団で有意義な活動を行なっていたのに、コルトレーンは自らそれを捨てたのである。
凡庸のミュージシャンならば、これでキャリアは終わり。しかしコルトレーンは、ジャズ界において遥か先を進んでいたマイルスから声をかけてもらったのである。この与えられた機会の重要性を考えて行動すべきコルトレーンであったが、どの時代においても麻薬から抜け出すのは容易ではないのであった。
【ついでにフォト】
2005年 香港
(2019年3月5日掲載、改訂2023年1月30日)