Tenor Madness
(Sonny Rollins)
(12分18秒)
【この曲、この演奏】
コルトレーンは本セッションだけの演奏記録しかない曲ですが、ロリンズも資料08によれば3回しか演奏記録がありません、最初が本セッション、2度目はそれから30年後の1986年、3度目は2000年のことです。
本セッションのクレジットではロリンズ作となっていますが、資料06によればハンク・モブレー作の「Sportin’ Crowd」、ケニー・クラーク作の「Royal Roost」としても知られている曲にようです。前者は1955年のBN1508 The Jazz Messengers At The Cafe Bohemia, Volume 2に収録されています。
テーマ、コルトレーン・ソロ、ロリンズ・ソロ、ガーランド・ソロ、チェンバース・ソロ、コルトレーンの次にロリンズでジョーンズとの4小節交換3回づつ、コルトレーン・ソロ、ロリンズ・ソロ、20回ほどのコルトレーンとロリンズの4小節交換、テーマ。こんな風に演奏が進みます。
つまりはコルトレーンとロリンズをたっぷりと聴ける内容、そして最後に怒号の4小節交換で締めるとのものです。
気楽に始めたセッションですが、二週間前のマイルスとのセッションで自信満々になったコルトレーン、そして華麗な中で力を込めていくロリンズ、そんな二人で燃え上がっていく演奏です。
【エピソード、コルトレーンとロリンズ】
資料06によるコルトレーンとロリンズの共演記録は、3回ある。本セッションの他はマイルス・バンドによるライブで、最初は1952年のものだ。共演者はパウエル,ブレーキー,そして多分パーシー・ヒースとの事である。是非とも聴いてみたいですのだが、録音の存在は確認されていない。もう一つは1957年の11月か12月であり、こちらは私家録音があるらしく、妙中氏が聴いたことがあるそうだ。
さらに資料11にはポール・ジェフリーのインタビューを紹介して、この二人の1956年の共演が記されている。「56年の終わりに、コルトレーンとロリンズの二人をボヘミアで見た。ロリンズとトレーンの二人がマイルスと一緒にやった何回かのうちの一回だ。ソニーのスタイルは知っていたけど、トレーンには本当にたまげた・・・。コルトレーンは、トレーンは立派に自分を出していたなんてもんじゃない。ソニーのメロディックなソロの後を、聴いたこともないような変わった、複雑極まり無いハーモニーとコード進行でつなぐんだ」
ロリンズのコルトレーンとの出会いについてのインタビューが残っている。
「1950年、ニューヨークで私は初めてトレーンと会った。そこで私たち二人は、たまにマイルス・デイビスの演奏に参加することが出来た。私はジョンの演奏を注意深く聴き、この男はどういうつもりでこんな演奏をしているのであろう、いったい彼はどのような方向に進むのだろうかとしばしば考えさせられたものだ。彼にそんな質問をしてはいけないと思い、なおも熱心に彼の演奏に耳を傾けているうちに、彼の音楽をより良く理解できるようになった。その後、私は彼と親友になった。彼から金を借りたこともあった。正直な話、私が借金を頼むことが出来たのは、コルトレーンとモンクだけだ」(資料01)
コルトレーンより3歳若いロリンズ、コルトレーンより早くジャズシーンで注目されていたロリンズ、その出会いは1950年でマイルスを介してのものであった。
資料09などにある通り、この1956年5月24日のロリンズ・セッションへのコルトレーンの参加は、当時のマイル・クインテットのリズム陣が参加しているためにコルトレーンがのぞきに行き、そこで1曲一緒に、と言うのが通説だ。
しかし資料11には違う記述がある。「このセッションのためにロリンズは、マイルスのリズムセクションを借り出し、コルトレーンをゲストにしてルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオに入った」とあり、ロリンズが最初から考えての共演だったとの意味合いだ。
通説とカール・ウォイデックがプレスティッジのために調査した資料11、どちらが正しいのかは分からないが、私てしては後者の説が本当のような気がする。先に記述したロリンズのコルトレーンに対する関心が、ここでの共演に、そして唯一の聴ける共演になったのだと思いたい。
【ついでにフォト】
2006年 香港
(2019年2月6日掲載)