Ogunde
(John Coltrane)
(28分21秒)
【この曲、この演奏】
聴くことができる最後のスタジオ録音曲となったこの曲が、聴くことができる最後のライブでも演奏されました。
さて演奏ですが、この曲の美しさを感じるのは、コルトレーンのテナーによる最初の30秒だけです。この後にコルトレーンは、怒りの演奏となっていきます。これはこの後のファラオの7分強のソロでも同様です。ただしここで聴けるファラオは、1966年の演奏よりも表現方法の広がりがあります。この後には6分半ほどのピアノ・ソロとなりますが、これはこのバンドの特徴のリズム陣一体演奏となっています。そして再びコルトレーンのソロとなり4分弱の怒りの爆発が続いた後に、そこにファラオも加わり、最後まで7分以上の壮絶な二人のぶつかり合いとなります。またアリのドラム演奏も卓越したものとなっており、これはこの年の2月のセッションで覚醒したアリの姿です。
この壮絶な演奏ですが、この曲の持つ特徴とは言えず、「In Roots of Africa」がテーマなのかなと感じました
【エピソード、オラトゥンジ・アフリカ文化センター、そして最後のライブ?】
1965年にオラトゥンジが「ハーレムにアフリカの文化センターを作りたいんだ」とコルトレーンに語ったことが起点となり、アポロ劇場から東へ数ブロックにある会館と契約し、1967年4月23日に「オラトゥンジ・アフリカ文化センター」はオープンした。契約までの過程でコルトレーンは金銭面を含めて強く協力してきた。
この会館設立までの過程で、オラトゥンジとコルトレーン、そしてユセフ・ラティーフの三人は、会館設立の柱となる具体案を相談してきた。その中で、「黒人ミュージシャンは、マネージャー、クラブ・オーナー、コンサート・プロモーターに搾取されてきた」ことから、「自分達でコンサートを演出しプロモートしスポンサーになろう」とのことに達した。そこで「In Roots of Africa」とのコンサートを、オラトゥンジ・アフリカ文化センターで行って行くこととした。
その初日の1967年4月23日にコルトレーンのバンドが出演した。午後4時からと午後6時からの2回公演となった。午後4時からでは「Ogunde」と「My Favorite Things」が、そして午後6時からは「Tunji」と「至上の愛 パート1 承認」が演奏された。(以上はCD「The Olatunji Concert : The Last Live Recordings」のライナー・ノーツより)
資料07によれば、コルトレーンは自ら録音機材を持ち込んで、午後4時からの部を録音した。
この午後4時からの部の「Ogunde」の一部がブートレグでCD化されていた。この午後4時からの部の全てがCD化されたのは2001年のことであった。
資料01では、コルトレーン・バンドは「In Roots of Africa」と題したコンサートのゲストに招待されたとある。詳細な調査の書物であり、コルトレーン本のバイブル的存在の資料01であるが、1970年代前半の時点では上記の経緯は知られていなかったようだ。
「コルトレーン・バンドはこの年の5月7日にボルティモアのフェイマス・ボールルームでライブを行う予定であったが、これはキャンセルされた」と長らく信じられてきた。そうなると、コルトレーンの最後のライブは、この4月23日となる。しかしながらサックス奏者の Ellery Eskelin の調査により、この5月7日のライブは行われていたことが判明した。この調査の詳細が資料07にある。
このオラトゥンジ・コンサートでの演奏が最後のライブとは言えないのだが、記録が残っておりその音源も確認できるコルトレーンのライブ演奏はオラトゥンジ・コンサートが最後である。
【ついでにフォト】
2010年 ペナン、マレーシア、タイプーサム
(2021年11月14日掲載)