Brasilia
(John Coltrane)
(12分56秒)
【この曲、この演奏】
「Neptune」であったり「Untitled Original」、さらには「Brazilia」ともクレジットされることがあるこの「Brasilia」の、コルトレーンの演奏記録は次の通りです。まずは1961年11月1日のヴィレッジ・ヴァンガード初日でライブ演奏され、これは長らくお蔵入りの後の1977年に発売されました。次に1962年4月12日にスタジオ収録されていますが、この日のセッションは今に至るまで全4曲が未発表のままです。そして記録上最後(資料07)となるのが、本セッションでの演奏であります。ここでの演奏はアルバム「The John Coltrane Quartet Plays」に収録され、この年の恐らくは8月に発売されました。
私にとっての「ブラジリア」はヴィレッジ・ヴァンガードでのものですが、コルトレーンを時代体験してきた方にとっては「ブラジリア」はここでの演奏であり、スタジオ録音での演奏だったのです。
さて演奏ですが、印象的なドラムではじまり、すぐにコルトレーンのテナーとの二人の演奏となり、1分半ほどのテーマとなります。この一騎打ちは聴きものですし、今後のカルテットを考えても興味深い物です。そのままコルトレーンの3分ほどのソロとなり、さらにマッコイも3分ほどのソロをとります。その後に再びコルトレーンのソロとなり2分半ほどの演奏を行っていますが、カルテットの凄みがあり、このままいけば崩壊してしまうのではとも感じさせるものがあります。そしてコルトレーンを手にしての後テーマらしきものが最後まで、3分ほどの演奏となります。その終盤はほぼエルヴィンとコルトレーンの一騎打ち、これも色んな意味で興味深いものです。
1965年半ばのカルテットの姿を感じると言う意味で、存在感のあるものです。
【エピソード、ジョー・ゴールドバーグの著書から その4】
1965年に刊行されたジョー・ゴールドバーグの著書「Jazz Masters Of The Fifties」の中の、コルトレーンに関する思慮に富んだ文章の日本語訳が資料04にあるので、数回に分けて掲載する。
「私が演奏するジャズの大半は」とコルトレーンは続ける。「ある一つのラーガのフィーリングが含まれる。インドの演奏家はメロディをプレイしない。スケールを奏でるだけだ。だが、彼らにとってはおそらく、それこそがメロディなんだ。だが、彼らはそうしたことを微妙に変化をつけて実践する。つまりインプロヴァイズするんだ」。しばらくこの方面を追求したコルトレーンは、サイドマンたちにコードの反復進行によるプレイを中止させるほどだった。曲の枠組みを失ったメンバーたちは、コード進行とテンポの示唆するムードを基にインプロヴァイズした。「ああ、そんな子yともやった」とコルトレーンはいささか後悔するように言った。
ラーガのフィーリングを維持しつつ、それでいてコード進行はプレイしない(コルトレーンいわく「私はメロディを演奏したい。その歌のフィーリングをプレイしたいんだ」)。その域に達すべく、コルトレーンは古い民謡集を読みあさり始めた。レコーディング作品ではなく紙媒体に目を向けたのは、他者の解釈に影響されるのを嫌ったからだろう。そこから生まれたのが、スペイン民謡の「ベンガ・バイェホ(Venga Vallejo)」を下敷きにした「オーレ!」である。インド音楽の持つ要素、マイルス・デイヴィスが「スケッチ・オブ・スペイン」で提示したアイディア、多種多様な三分の四拍子へのいや増す関心が三位一体となった傑作だ。コルトレーンはいつに増して熾烈なソロで貢献し、アート・デイヴィスは、これまでのジャズのレコードの常識を覆すほど複雑かつ華麗なベースを聴かせた。また、別の楽曲集から発掘してきたのが、コルトレーンが”スピリチュアル”と呼ぶ曲だ。この曲は、究極の単純化とも言えるワン・コードのみでプレイされた。
【ついでにフォト】
2005年 香港 維多利亞港 遊艇航行
(2021年6月26日掲載)