Acknowledgement (take 6)
(John Coltrane)
(12分30秒)
【この曲、この演奏】
5回目のテイクは、いつもの出だしでコルトレーンとシェップが吹いたところで、26秒で演奏中断となりました。ここでの中断理由が、私には分かりませんでした。
そして6回目のテイク、この曲の最後の演奏、4回目の完走演奏となる、12分30秒が始まります。
前日の黄金カルテットでの演奏が8分弱、そしてこの日の他の3回のは9分前後の演奏時間ですので、このテイクでの演奏の長さが目立ちます。
エルヴィンの銅鑼から始まる毎度の展開で演奏が始まりますが、ギャリソンはリフでのリズムにまたひと工夫を折り込み、またエルヴィンもシンバルの使い方を変え、全体に僅かにリズミカルな展開を入れています。そしてテナーのお二人ですが、シェップのリフ演奏には彼の特徴を生かしている、荒々しさをうまく取り入れた演奏になっています。このことがこの二人の絡み合いを、一層魅力的なものにしています。また最後のベース二本の展開も、このテイクでの演奏に合わせるように刺激的なものを織り込んでいます。
さてシェップ入りシクステットでのパート1「「Acknowledgement、承認」の6つのテイクについてコメントしてきましたが、シクステットでのこの日の演奏をこれで終わらせた理由を考えてみると、次の二つになります。
もともと全パートをシクステットで演奏する計画であったが、パート1について演奏を繰り返したところで、やはりこの編成では組曲「至上の愛」には相応しくないと判断して、ここまでとしたとの考えです。
もう一つは、最初からパート1だけの演奏を考えており、アルバムにそれを使う、つまりパート1はシクステット、他は黄金カルテットでアルバムを構成しようと考えており、パート1の収録で本セッションを終わらせたとの考えです。そして改めて検討して、黄金カルテットだけでの「至上の愛」になったとのものです。
正解は何なのか、誰にもわからないことでしょう。
【エピソード、アルバム「至上の愛」のコルトレーンによるライナーノーツ、前段】
先に掲載した詩を含めて、アルバム「至上の愛」のライナーノーツは全てコルトレーンが描いたものである。そのライナーノーツの前段部分の日本語訳を、資料04より引用する。
私の音楽を愛するみなさんへ
神を讃えよ、ほむべき神を。
正しき道を歩みて神を求めん。それは真実なり。「求めよさらば与えられん」と。
神をおいてほかに、後世に伝えられる驚異を知らしむものなし。
一九五七年、私は、神の愛によって、精神的な覚醒を経験しました。それは私が、より豊かで、より完全な、より実りある人生を送るためのものです。その時から、感謝の気持ちとして、音楽を通じて人を喜ばせるための手段と特権を、謹んで受け入れたのです。私には、神の愛によって授けられたものと思われました。「神を讃えよ」
時は巡り、万物は移り変わり、優柔不断に振り回される時期が訪れました。私は、自らの誓いに反し、尊き道から外れるという状況に陥ったのです。しかしありがたいことに、慈悲深く、的確たる神の手が再び差し伸べられ、そのとき私は感じました。否応なくその存在を再確認しました ー 全知全能の神を。私たちが彼を求め、彼に依存していることを。私は今、皆さんにこう言いたい。「何ごとの起こらんことも、神はそこにいませり。紙は慈愛と慈悲とに満ちたまえり。その行ないは、愛で満ちたり。愛によりて、我らはみな結ばれたり。これは真実なり ー 至上の愛を」
【ついでにフォト】
2009年 みなとみらい、ラ・マシンによるクモ
(2021年6月18日掲載)