They Say It’s Wonderful
(I.Berlin)
(5分21秒)
【この曲、この演奏】
ミュージカル「アニーよ銃をとれ」のハイライトというべきこの曲ですが、コルトレーンの演奏記録は、名作「バラッズ」のための1962年11月13日のセッションと、このハートマンとのセッションの2度となります。(資料07)
1962年11月13日での演奏はコルトレーンとマッコイのデュオですが、「バラッズ」には収録されず、世に出たのは2002年のことでした。
ここでは9回の演奏記録があり、最後まで演奏したのは4つ目のテイクと、最後のテイクとなるこれだけです。
優しいピアノに導かれ、ハートマンの艶のある低音での歌に入ります。先ずはこの声の魅力に引き込まれていきます。そしてそれに寄り添うコルトレーンにも、ハートマンの艶が乗り移っていくようです。そのままコルトレーンはテンポを上げてのソロに入り、再びハートマンの歌となり、演奏は終わっていきます。
堅実なギャリソンのベース、見事なエルヴィンのブラシも加わり、名作のA面一曲目を飾るこの曲この演奏は、今に至るまで多くの人を魅了してきております。
【エピソード、本セッション】
前年の1962年より続く「スローな企画もの三部作」の最後は、歌手ジョニー・ハートマンの共演となった。なぜ歌手との作品づくりなのか、そしてなぜジョニー・ハートマンなのか、資料13には次の記述がある。
シールとコルトレーンは親しくなり、時とともにその親交は深まった。(いつも決まって首を縦に振るわけではないにせよ)コルトレーンはシールが何か意見を言えば、とりあえず考えてみるようにしていた。シールはもっと一般に受けるレコードを作るべきだと勧めた。1963年の初め、ヴォーカルとやってみないかとシールが提案したとき、コルトレーンはそれにうってつけの歌手だという名を挙げた。
コルトレーンに指名されたジョニー・ハートマンの経歴を、新・世界ジャズ人名辞典から簡単に紹介する。
1923年に生まれ、8歳からピアノと歌を始めた彼は、24歳の時にアール・ヘインズ楽団のシンガーとなった。1948年にはディジー・ガレスピー楽団に参加するなどし、人気を博していた。1963年1月にはアート・ブレイキー御一行の来日に帯同した。
本セッションでは合計62テイクの収録となったが、曲数は7つであった。そしてその中から六曲が選ばれ、「ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン」という人気作品の誕生となった。
ちなみに選に漏れ他のは、「Afro Blue」であった。この曲はもともとアフリカに古くから伝わるトラッド・ナンバーだが、モンゴ・サンタマリアがいち早くアレンジして取り上げたことから、モンゴのオリジナルとクレジットされているものが多い。(資料14)
この「Afro Blue」はこの後にコルトレーンのライブでの重要曲となるのだが、初めて演奏されたのは、そして唯一のスタジオ録音は本セッションである。ここではコルトレーンは、ソプラノサックスを演奏している。そして今に至るまで未発表である。(資料07)
【ついでにフォト】
2009年 みなとみらい ラ・マシンによるラ・プランセス
(2021年4月19日掲載)