Syeeda’s Song Flute (alternate take)
(John Coltrane)
(7分6秒)
【この曲、この演奏】
この曲は2回目の演奏を行い、1回目がOKテイクとなり、2回目が1975年発売の「Alternate Takes」に収録されました。演奏時間は両テイク、同じです。
資料07によれば、コルトレーン直筆のこの曲のリード・シートがオークションにかけられたそうです。その際には「Saidas Song Flute」と、オークション・リストに書かれていたようです。因みに「Saida」、「Saeeda」、そして「Syeeda」は英語の翻字であり、どれも正しいとのことです。
さて2回目の演奏ですが、1回目と構成で変えた点はなく、内容も高いものです。その中でコルトレーンの演奏には、いくぶん荒々しさを加えたいとの思いを感じます。
どちらをOKテイクにするのか、その過程の様子が世に出ればと思いますが、今となれば無理なことなのでしょう。
【エピソード、アントニオ・サイーダ・コルトレーン】
ジョンはあたしのことをトニと呼んだり、時にはポニーとも呼んでいた。というのも少女の頃のあたしは、がりがりにやせていたからです。彼はひまを見ては、あたしを遊びに連れて行ってくれました。夏はコニー・アイランドに行き、私をサイクロン・ローラー・コースターに乗せてくれたし、冬にはヴィンセント・プライスの恐怖映画をみせてくれました。あたしが恐ろしさに身体を震わせているのを見て、彼は満足そうに笑っていました。長期間の演奏旅行から帰ってきたときは、いつもポケットに小銭を一杯つめ込んで、銀行に預けるように私に渡してくれたものです。
アントニア・コルトレーン
ジョン・コルトレーンは、トニのためにもっと大事なことをしてやった。それは、彼女の回教徒名をおりこんだ「サイーダズ・ソング・フルート」を書き、それを「ジャイアント・ステップス」というアルバムの中でレコーディングし、その名前を不滅のものにしたことだ。トニが子供のよく吹くカズー笛に似たトネットで何か吹こうとしていつもうまく行かないのを見て、彼は曲想を掴んだのである。
彼女が一九六七年にハイスクールを卒業したとき、コルトレーンは別の女性と結婚していた。だが、彼はナイーマの娘のことを忘れたりはしなかった。彼女は彼の娘でもあったのだ。彼が贈ってくれたプレゼントを見て、すっかり成長したアントニオ・サイーダ・コルトレーンは、父親が自分のことをどれほど愛してくれているかを知った。
それは、ほんもののフルートだった。
(以上、全て資料01より)
【ついでにフォト】
2010年 ペナン、タイプーサム
(2020年5月31日掲載)