Sweet Sapphire Blues
(Robert Weinstock)
(18分16秒)
【この曲、この演奏】
資料11によるとこの曲は、「プレスティッジのオーナーのボブ・ワインストックの作となっているが、他で彼が作曲していたとは聞かないので、恐らく何かの間違いであろう」としています。
また資料06でも指摘されていますが、アルバム「ブラック・パールス」のクレジットでは、「Saphire」とあり、Pを重ねていない綴りです。宝石のサファイアならばPを重ねるので、「ブラック・パールス」では誤植と考えられ、それ以外では「Sapphire」と表記されています。
さて演奏ですが、頭からの6分間のガーランドのソロは、実に快調なものです。これで終わるならば、勢いのあるガーランドのブルース演奏との評になるのでしょう。
資料09には「冒頭から延々と続くピアノ・トリオ部分は典型的なハード・バップ・セッション」とあり、資料11 には「ガーランドが、自分の引き出しからあれやこれやとねたを取り出すかのようにソロを始めた後、趣味の良いブロック・コードでコルトレーンの入場のお膳立てをする」とあります。
悩みどころはガーランドのお膳立てにより登場する、コルトレーンのソロです。演奏の色合いを全て打ち消すように、これがレコーディングだとは全く考えていないような、自分の世界だけをテナー・サックスから絞り出しているようです。資料09には「コルトレーンのこだわりのように聴こえてしまう。明らかにコルトレーンは何かに対する不満を持っているようだ」とあり、資料11には「コルトレーンが以前、調べのあるブルージーなラインと切迫したダブルタイムの間で保っていたバランスというものは、今や見る影もなく、そのソロの大半は、そのブルース進行からハーモニーを最後の一滴まで引き出すことに捧げられている」とあります。
この後にはバードのソロや、テイラーのドラムの見せ場などが用意されていますが、コルトレーンが繰り出したソロのために、宙を浮いたように聴こえてしまいます。
色々と考えさせるこの演奏ですが、コルトレーンは二度とこの曲を取り上げることはありませんでした。
【エピソード、A.ブルームのインタヴュー、1958/6/15、その9】
(JC=ジョン・コルトレーン、AB=オーガスト・ブルーム)(資料04)
AB 確かにラビット(訳注=ジョニー・ホッジスの愛称)は・・・彼はどのミュージシャンのグループの中に入っても、ぴか一の輝きを放っていた。
JC ああ。
AB それは彼がいつも心地よい音を奏でられからだ。彼はいつだって美しいプレイヤーだった。前に雑誌でバード(訳注=チャーリー・パーカーの愛称)のインタヴューを読んだけど、彼もホッジスの演奏にはぞっこんで、心酔しきっていた。音楽的に大きな影響を受けた一人がホッジスだと言っていたよ。
JC ああ、とても偉大で・・・。
AB ソウルに溢れていた。
JC そう、ソウルだ。ソウルに満ちていた。
AB 最近のレスターは昔ほど良くないと言う人が多いけど、どうなんだろう。自分にとっては、彼はいつだって偉大なミュージシャンだ。
JC 同感だね。
AB 彼はいつだって凄い演奏をする。いつでも見事なサウンドを奏でる。レスターはいつも若いミュージシャンを連れてるよね。気づいていた?
JC もちろん。
AB ここ十年は、若くて才能あるミュージシャンをいつもバンドに随行させている。トランペット奏者のジェシー・ドレイクスとか。彼とはずいぶん長いな。
JC ああ、とても優れたトランペット奏者だ。
AB とても、とても優れている。ただ、残念ながら知名度が低い。
JC 確かに、なぜなんだろう。彼はもっと人気が出ていい。優秀なトランペット奏者だ。そのうちどこかのグループに入って・・・(以下、聞き取れず)。
マハールからの補足、ジェシー・ドレイクス(Jesse Drakes)について。
新・世界ジャズ人名辞典には掲載されていない方だが、Wikipediaには彼のページがあり、そこから引用する。
1924年10月22日にニューヨークに生まれた彼は、若い時からミントンプレイハウスに顔を出しており、1940年にはジュリアードに通っていた。1940年台にいろんなミュージシャンと演奏を行い、レスター・ヤングのもとで演奏をしていた。1950年代後半からはR&Bの演奏に移っていき、キング・カーティスの楽旅に参加したり、モータウンでスタジオ・ミュージシャンとして活動していた。1969年から彼は歌とダンスのバンドを率いて活動していた。2010年5月1日にNYの彼のアパートで、死んでいる状態で発見された。
【ついでにフォト】
2005年 香港
(2020年2月5日掲載)