Billie Holiday
Strange Fruit
Commodore原盤
1939年4月録音
ビリー・ホリデイのプロ活動は、コロンビアでのレコーディングが始まった1933年からと言っても良いのでしょう。コロンビアでのレコーディングは1942年まで続き、その後の彼女は幾つかのレーベルと契約しながら、1959年に亡くなるまで活動を続けました。
私は彼女のコロンビア時代、1933年から1942年まで、彼女が18歳から26歳までの時期の録音を、こよなく愛しています。具体的には1986年にCBSソニーから発売されたCD8枚組箱、「The Lady, Billie Holiday Complete Collection」が愛聴BOXとなっています。
この素敵な8枚組CD箱は彼女の絶頂期が詰まった素敵なものですが、1933年から1942年のビリー・ホリデイとみると、大きなものが抜け落ちています。「Strange Fruit(奇妙な果実)」が、収録されていないのです。
ウィキペディアにあるこの辺りの話は、次の通りです。
ホリデイは1959年3月にルイス・アレンという若い高校教師が作詞・作曲した、アメリカ南部の人種差別の惨状について歌った曲「Strange Fruit (奇妙な果実)」と出合い、自身のレパートリーに加えるようになりました。ところがコロンビアはこの曲を録音することを拒否したため、プロデューサーのミルト・ゲイブラーの勧めにより、ごく小さなレーベルであるコモドアで1939年4月20日にこの曲を録音したのでした。
今日取り上げる有名ジャケットであり、有名盤であるこのアルバムには、ホリデイがコモドアに吹き込んだ全16曲が収録されています。
1939年4月20日 4曲
1944年3月25日 4曲
1944年4月1日 4曲
1944年4月8日 4曲
コロンビアでの数多くの録音と同様に、絶頂期の彼女の魅力が詰まっています。1944年のも良いですが、やはり1939年のホリデイは素晴らしいものです。その中でもやはり、「Strange Fruit (奇妙な果実)」が圧巻での内容です。抑えに抑えた感情表現の歌唱ですが、それによってこの重く大切なテーマが聴く者を大きく包み込みます。
コロンビアは、「反対リンチ抗議曲」ということで録音を拒否したと、ウィキペディアにあります。彼女の大ヒット曲であり代名詞となったこの曲を、私としてはコロンビアでのホリデイの録音群に入っていて欲しかったです。
私にとってのビリー・ホリデイは、コロンビアCD8枚組箱と、このコモドア盤となります。